「自由ですけどなにか?」

~ WE DO WHAT WE LOVE ~ 新婚無職夫婦が、自由に気ままにハッピーに!自分たちらしい生き方を創っていく話

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つまるところ、幸福の分岐点は「自分に集中できているかどうか」だという話

こんにちは!かさご(夫)です

 

いつもたくさんの方にご覧いただきありがとうございます!久しぶりの更新となってしまいましたが、これからも無理して更新はせず、気が向いたときにすらーっと更新していきますね!(マイペース←)

 

さてさて、いま僕らはとある田舎の温泉街で遊び半分の仕事をしているのですが、いわゆる「THE・田舎」に来て、土地のルールにがんじがらめにされてきた、狭い価値観の人々にたくさん出会いました。どうしてこういう人たちはこうなったんだろう?つまるところ幸せってなんだろう?などなど考えていたのですが、この間、温泉でボケーっとしているときにピンと来たので、今日はそのお話。

 

 

自分のやりたいことをやりたいように

 

これは今まで僕らのブログでもずっと言っているし、いま世の中のいろんな人が口にしていることですが、とにかくやりたいことをやっているかが重要。自分のやりたくないことを「続けなければいけない」人生が幸か不幸か、答えは見えていますよね。ちなみに前にもお話しましたが、年をとってくると顔にもろに表れてきます。

 

中国富裕層の結婚式に参列してわかった「お金と自由」

 

知識人から芸能界まで、いろんな人がやりたいことをやろうと口にし、まさに過渡期だなぁなんて感じますが、1個だけ付け足すとしたら「やりたいことをやりたいように」だと思います。

 

もうこれだけ時代も流動的になって、インターネット一つで何でもできてしまう時代。今までのシステムとか考え方ではいろいろ通用しない時代になっています。いくらやりたいことをやろうとしても、そのやり方がガチガチの既成概念に捕われてしまったらもったいないですよね。いままでの社会の通念とか常識とかに捕らわれず、自分の正しいと思うやり方で自由にやったらいいんです。

 

必要なものがあるとしたら一歩踏み出す勇気ですかね。踏みだしたら早いですよー。何もかも決めるのは自分。自分に思いっきり集中していれば、多少の困難はあったとしてもストレスに苦しむことはないでしょう。

 

 

やりたいことを「我慢」すると自分に集中できない

 

一方、自分のやりたいことをやってない人は、自分に集中できなくなってきます。結果どうなるかと言うと、楽しいことは人の悪口や噂くらい。自由にやりたいことをやっている人たちに対しては嫉みしか持たないようになるんです。

 

「自分はこんなに我慢しているのにあの人たちは・・・」

「そんな自由な考え方は甘い」

 

これはそういう人たちの口癖ですが、結局のところ羨ましいというか嫉妬なんでしょう。自分たちだって今まで自由にやるチャンスが散々あったし、今からだって何も遅いことはないのに、ただやってこなかったしやろうとしない。ただひたすら何かに「我慢」し続けたから、そうじゃなく楽しそうにやっている人に嫉妬してしまう。

 

「甘い」と口にする人は、ただ自分がやってこなかった人で、やってこなかった人に甘いかどうかなんて語る資格はありません。そもそもですが、社会の枠とか長いものに巻かれ続けてきた人のほうがよっぽど甘くて、自分に集中できてませんよね。

 

 

高速バスで社会が分かる

 

 話はちょっと脱線しますが、日本に帰ってきてから何度か高速バスに乗る機会がありました。海外でもよく高速バスに乗っていたのでふと思い出してみたら、日本の高速バスは日本社会をよく象徴しているなぁと感じたのです。

 

どういうことかと言うと、みんなリクライニングをガッて倒して思いのままくつろげばいいのに、みんな「我慢」。後ろの人に声をかけたと思ってもチビチビ倒したり。声をかけずに後ろにバレない倒す人たちもいますよね。あたかもリクライニング倒すのが悪いことような扱いになっているんです。実際、倒しすぎだって文句を言うおばちゃんだって出てくるし。

 

ちなみに中南米は豪快でした。後ろの人に何も言わずにフルで倒してきます。一緒に倒すの手伝ってくれとか、後ろの人から前の人に倒しなって声をかけることもあるし、みんな100%くつろごうぜっていうスタンス。みんなでみんながくつろげるスペースを作り出すんです。

 

まあマナーから言えば、「後ろの人に一声おかけください」っていうのが正しい気がしますが。でもみんなで我慢しあっている日本と、みんな我慢なんかするなよっていう海外。こんなところにも映っているんだなってちょっとハッとしたのを思い出しました。

 

 

自分に集中できているか人は強い

 

ということで、自分に集中できているかどうかが大事だというお話でした。ちなみに自分に集中していない人は悪口を言うというお話をしましたが、自分に集中している人たちにとってこうした悪口は効果ゼロです。相手にしてくれません。

 

僕の子供のころのヒーローである、サッカーのカズ選手は、50歳を超えた今でも現役を続行して本当に素敵な顔だなって感じます。ある時そんなカズ選手に「引退勧告」をしてきたとある御意見番がいて、ニュースにもなりましたね。でもカズ選手はそれをも力にするという何枚も上手のコメント。この一連の流れも、まさに日本の縮図だなあって感じました。

 

 

自分に集中してまっしぐらな人生と、人の悪口ばっかり口にする嫉みの人生。あなたならどっちをとりますか?

 

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おいお前さん、いつまで我慢してるんだい?

 

我慢を美徳とする時代はとっくに終わっている

こんにちは!かさご(夫)です!

 

日本に帰国してからというもの、日本の味付けに感動する日々が続いています。甘辛煮とか卵とじとか、本当に和食の創造性ってすごいですね!

 

さてさて、話は昨年に戻り2016年。僕たち2人は中南米に約5ヶ月間にわたり旅をしてきました。本当にすばらしい出会いや景色など、間違いなく人生の忘れられない思い出になったのですが、今日は5ヶ月ぶりに目にした日本の印象をお話ししたいと思います。しばらく日本を離れたからこそわかる日本の姿。これも旅の一つの醍醐味かもしれませんね!

 

 

日本人は顔が死んでいる!?

 

 一言で言うと、5ヶ月ぶりに目にする日本人の姿は、あまりにも衝撃的でした。これはもはや警鐘を鳴らしたいレベルです。

 

朝5時半に到着した羽田空港。そこから滞在先まで京急線で品川まで向かいました。電車の中はまさに通勤の時間帯。常に眠たそうなサラリーマンから携帯ばかりいじっている学生まで、さまざまな人が乗っていました。

 

そんな景色を見てあることにハッと気づいたのです!それは、日本人は顔が死んでいて、みんな辛そうだということ!同じように空港に着いたばかりの人を除き、電車に乗っていた人のほぼ全てがそんな感じでした。

 

旅中はメキシコやアルゼンチンなど、混み合っているメトロに乗る機会も多々ありましたが、みんな満員を楽しんでいるくらい陽気。みんな互いに親切だし、一人でもいきなり隣の人と会話したり、そんな暖かい景色がずっと続いていたので、日本の通勤電車の景色は、かなり異様に映ったのです。

 

 

我慢あっての成長!?いつまで自分を削っているの?

 

 日本には我慢あってこその成長」という精神が根強く残っています。いわゆる侍魂とでも言うのでしょうか。

 

当たり前ですが、日本にもう侍はいませんよね?昔の封建的な社会と違い、今の社会はものすごい可能性に満ちた社会です。そんな状況においても、本当に我慢は必要でしょうか?

 

よく会社や組織に馴染めないと、そこに「適応」するために自分の軸をねじ曲げようとする人がいます。自分をねじ曲げている人の運命はただ一つ。自分を削って、自分をすり減らしていくだけ。満員電車で常にイライラしている、そんな人のような感じになっていくだけです。

 

よく本屋などでも、いかに会社や組織に溶け込んでいくかみたいなハウトゥー本を見かけますが、そんな自分をいかにねじ曲げていくかよりも、より自分の軸を活かせる環境を見つけることの方がよっぽど大事!まだこの発想を実行できないでこうした本にしがみつく人が多いみたいですね。

 

 

逃げるはすぐだし、役に立つ!?

 

 そういえば昨年、そんなドラマが流行ってましたね。一言だけツっこむとしたら、逃げるは「恥」ですらないということ。言い直すなら、「逃げるはすぐだし、役に立つ」がいいかなと思います。

 

はっきり言って、会社や組織と合うか合わないかなんて、相性の問題です。誰にだって好き嫌いがありますよね?相性が合わないことだって、あって当たり前。むしろ相性が合うケースの方が稀だと思います。たとえ自分が十分に調べて志望した組織だとしても、相性に関しては別の問題。

 

合わない相性の中で無理やり自分をねじ曲げていると、いつまでたっても自分を削るだけの人生。自分を活かすためにも、自分の人生を生きるためにも、相性が合わなければ「逃げる」方がはるかに賢い選択だと思います。「逃げる」というかその場を離れるだけですね。しかもそれは手続きさえ済ませればすぐに終わるはずです。

 

 

「頑張る」から「顔晴る」へ!

 

 突然ですが、よく翻訳をしていると、「頑張る」という言葉の翻訳に困ることがあります。もちろん翻訳できなくはないんですが、どうしても不自然になってしまうし、いかにも日本的な表現なんだなあと考えさせられます。

 

「頑張る」というのは、もちろん自分をねじ曲げて、すり減っていっても「我慢」しましょうね!という恐ろしい表現。以前、外国人の友人から「頑張る」という表現が嫌いだという話を聞きました。なんでもかんでも「頑張る」。自分から変えようとしないの?というのが彼の主張。何でもかんでも自分を「適応」させる危険な言葉。そんな概念からは距離を置いたほうが身のためです。

 

他にも「石の上にも3年」とか、国歌の中にも「苔のむすまで」なんて表現もありますよね。こうした表現もとても日本的で、我慢や継続が美徳化される社会。

 

そうそう、英語にはこんなことわざがあります。

A rolling stone gathers no moss

直訳すると、「転がり続ける石に苔はつかない」という意味です。

 

このことわざにおいては、苔はネガティブなイメージ。ない方がいいものとして考えられています。一つの場所にジーっと耐えているのではなく、どんどんと転がっていたほうが、常に新鮮なきれいな状態を保てるよ、というイメージですね。

 

もちろん今の状態が自分を十分に生かせる環境であれば、それは必然的に「継続」につながるでしょうが、そうでないのに無理に「我慢」をして「頑張って」いれば、きっとこんな質問に追い回されることでしょう。

 

「私の人生はこれでいいの?」

 

いまの時代は「我慢」を続ける人と、「我慢」をやめて自分の人生を選ぶ人に2極化されています。しかもものすごいスピードで。

 

さきほどの質問に追い回されているのなら、ぜひ転がる石のように自分の人生を選択してみませんか?「頑張る」のではなく「顔晴る」。これが人生です

 

 

 

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南極へと沈み行く夕日を眺めながらウトウト。これぞ人生

「自由」のあり方で、勘違いしてはいけないこと ~ルールは破ってもマナーは守れ!?~

こんにちは!かさご(夫)です!

 

約1ヶ月に及ぶ旅を終え、先日また日本に戻ってきました。日本寒すぎて震えますが、やっぱり味覚は最高ですね!

 

そして遅ればせながら、明けましておめでとうございます!今年もますます自由に、自分達の人生を創っていく僕らですが、今日は最近旅に出るたびに感じる自由」のありかたについてお話ししたいと思います。

 

というわけで、2017年一発目の旅論!

 

 

自由に生きる!で、勘違いしてはいけないこと

 

僕たちが掲げている「自由に生きる」というテーマですが、これにはある前提が必要です。

 

それは、他人の自由を損なう自由であってはいけない!ということ

 

いくら自由と言っても、周りに迷惑をかける行動は「自由」とは呼べません。例えば自分達が楽しいからバス内で大声ではしゃぐ、自分達が楽しいから道のど真ん中でおしゃべりする・・・などなど。

 

自分の欲求に従うのはとても重要なことですが、一歩間違えるとそれはただの迷惑行為。公道を暴走する若者と何らやってることは変わりません。残念ながら世界にはこういう人たちもいっぱいいますし、こうした「自由」を目指すのであれば、それは大きな勘違いです。

 

 

ルールとマナーは別物

 

いまお話ししたのはマナーの話。どれだけ自由を目指そうとも、最低限のマナーを守るのが条件です。で、「マナー」と言われると連想されるのが「ルール」。それぞれ似ているようで異なる2つの言葉ですが、この相互関係を理解することも重要です。

 

ではちょっとルールのお話をしましょう。ルールとは、誰かによって定められた規則。日本人が大好きで、同時に自分達を苦しめているもの。本来の役割は最低限のマナーを保障するために、人々を「押さえつける」ものです

 

よく日本人には自由が足りないと言われますが、それは圧倒的に、このルールが多すぎることが原因だと思います。「~してはいけない」系のルールに代表されるように、時に必要以上に人々の自由を制限してしまうルールの数々。

 

自然発生的に生まれるのが「マナー」であるのに対し、「ルール」は人為的に作られたもの。そしてだいたい頭の固い人が作ってるものです。その結果、どうなるか。ルールは最低限のマナーを保証する役割だと思うのですが、それが暴走して必要以上に人の自由を奪ってしまっている。これがいま日本で起きていることです。

 

「猫を電子レンジで乾かしてはいけません」で有名なアメリカなどの裁判社会ではない限り、海外のルールはあってないようなもの。マナーの上に成り立ってるから、ルールに自由を奪われることがない。これが日本と比較したときに自由に見える理由だと思うんです。

 

 

ルールは破ってもマナーは守れ!?

 

というわけで、どれだけ自由に生きると言っても、それはマナーの範疇において、というのが必要条件。マナーを破ったらただの迷惑で恥知らずな人たちです。

 

ルールに関しては、あまり大声では言えませんが時に破ってもいいかな。(もちろん自己責任ですが。)だってあまりにも理不尽なルールとかありますよね。それはもう「マナーを保証する」という役割を大きく飛び越えて、人の自由を奪っているだけ。作った側の都合で人の自由を大きく奪ってしまうのはルールとは呼べませんし、こういう理不尽なルールが多いから息苦しいと感じるのでしょう。

 

似ているようで異なるルールとマナー。必要以上に理不尽なルールに縛られることなく、そして常識という概念に縛られることなく、2017も全力で楽しみたいですね。

 

ちなみに個人的に掲げた今年のテーマがこちら!

 

「今に生かされるのではなく、今を生きる!」

 

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タスマニアの大自然に囲まれながらバーベキュー。これぞ人生!と思える瞬間を今年もどんどん増やしていこう!